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最高裁判所第三小法廷 昭和59年(オ)152号 判決 1984年9月18日

上告人

池田忠雄

右訴訟代理人

伊藤茂昭

被上告人

角谷義政

右訴訟代理人

三枝基行

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人伊藤茂昭の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告人の契約準備段階における信義則上の注意義務違反を理由とする損害賠償責任を肯定した原審の判断は、是認することができ、また、上告人及び被上告人双方の過失割合を各五割とした原審の判断に所論の違法があるとはいえない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づき原判決を論難するか、又は原審の裁量に属する過失割合の判断の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(木戸口久治 伊藤正己 安岡滿彦長島敦)

上告代理人伊藤茂昭の上告理由

第一 原判決には法令適用の誤りによる違法がある。

1 本件はいわゆる契約締結上の過失の理論により、上告人の責任を一部認めたものであるが、本件では契約締結上の過失の理論は採用されるべきではない。

2 いわゆる契約締結上の過失の理論は本来以下のような原始的不能のケースの救済を中心に論議されたものである。すなわち、売買契約が締結されたにもかかわらずその目的物件が契約締結時に焼失しており、それが売主の過失によるというような場合に、買主の信頼利益を保護するための理論である。かかる場合は、契約自体は締結されており、理論上原始的不能と観念されるということより保護する理由は一応考えられないわけではない。

3 また東京高裁昭和五二・一〇・六判決は、契約締結時において、契約内容ではないが締結の動機となつた将来の利益の供与の約束が実現しなかつたことに対する信頼利益を保護している。しかしこのケースも契約自体は成立したものであり、また利益供与の約束自体が一個の契約と考えられないでもない。

4 以上のように、契約締結上の過失の理論もしくは契約内容にはない信頼利益を保護すると言つても、契約自体は成立しているケースが問題とされている。従つて本件のように、契約締結に至らなかつたケースで契約締結準備段階の責任をとりあげること自体が全く失当な主張である。

5 すなわち、一般に交渉により契約を締結せんとする者は、商慣習により許容された範囲内でより有利な条件で契約を締結するために、自己の責任で一定の駆け引きを行つている。その結果契約が不成立に終つた場合でも双方に何らの債権債務も発生しないことは当然である。この場合において、それぞれの当事者が契約締結誘引のために要した費用は、それぞれの当事者の負担となることは当然である。従つて契約準備段階においては特に不法行為に該当するような違法性のある行為のない限り、相手方に対する損害賠償責任の発生する余地はない。

以上より、原審は法令の適用を誤つたものであり、すみやかに破棄されるべきである。

第二 原判決には判断遺脱・審理不尽・理由不備の違法がある。

1 仮に原判決の判示するように「取引を開始し契約準備段階に入つたものは、一般市民間における関係とは異なり、信義則の支配する緊密な関係にたつのであるから、のちに契約が締結されたか否かを問わず、相互に相手方の人格、財産を害しない信義則上の注意義務を負うものというべきで、これに違反して相手方に損害をおよぼしたときは、契約締結に至らない場合でも、当該契約の実現を目的とする右準備行為当事者間にすでに生じている契約類似の信頼関係に基づく信義則上の責任として、相手方が該契約が有効に成立するものと信じたことによつて蒙つた損害(いわゆる信頼利益)の損害賠償を認めるのが相当である。」としても、原判決には以下の理由による判断遺脱・審理不尽・理由不備の違法がある。

2 すなわち、上告人は原審において原審におけるあらたな主張として、「被上告人は、本件大野ハイッを建主として建築したうえ、売却して利益を得ようとしたものであり、右は宅地建物取引業法(以下「宅建業法」という。)二条二号所定の業として、宅地又は建物の売買を行つたものであるから、上告人の右行為は、宅建業法にいう宅地建物取引業(以下「宅建業」という。)に該当する。したがつて、被上告人は宅建業の免許を有しないが、宅建業法で宅建業者に課せられているのと同程度の注意義務を負担するものであるから、本件においては専ら被上告人に過失があり、上告人にはその責に帰すべき過失はない。」こと、「また、被上告人は上告人の了解を得ないで、電気容量の変更を行つたものであり、事実を告げる義務の課せられている業者としては、極めて不適切な行為であつて、公平の観念からみて被上告人の請求は理由がない。仮に、上告人に過失があつたとしても、被上告人の上告人の了解を得ないでなした右電気容量の変更は、被上告人により大きな過失があつたものというべきであるから、上告人の過失は被上告人の右過失によつて相殺される結果、上告人の損害賠償責任は存しない。」との点を明らかにした。

3 これに対して原審は、「仮に、被上告人において、上告人主張のような宅建業者と同程度の注意義務があるとしても、原判決認定のような事情のある場合は、上告人には本件大野ハイツ一〇二号室の売買に関する契約締結準備段階における信義則上の注意義務に違反するものとして過失のあることは明らかであり、かつ、右過失の割合は五割をもつて相当とする。」と判示しているが、この判示につき、重大な判断遺脱・審理不尽・理由不備の違法がある。

4 すなわち、原審は、被上告人が取引上要求される注意義務の程度について、宅建業者と同程度の注意義務なのか、それとも、宅建業者ほど高度な注意義務を課せられるのではなく、通常の注意義務なのかについて判断することなく、漠然と結論して過失の割合五割と認定している。しかしながら、仮に、信義則上の注意義務が双方に存するとしても、その過失割合を認定するにあたつては、その前提として、双方の注意義務の程度に差があるならば、当然その程度の差を斟酌すべきである。そこで上告人は原審で主張したように、被上告人は、高度の注意義務、すなわち宅建業者が取引上要請されると同程度の業務上の注意義務が存すことを明らかにしたのである。

そして、この業務上の高度な注意義務の基準からすれば、本件において、契約の締結以前に、被上告人が上告人との契約締結を目的として、費用をかけて、電気容量の変更を行う(当然それは物件の価値の増加=価格の値上げ変更を伴う)ものであれば、事前に上告人にその具体的内容を告知する義務が存するものと言わなければならない。この義務を履行せず自己の判断で、その変更を行つた以上はその行為自体に信義則上の注意義務違反ありとして、その違反の程度は、単に、業界以外の者が行つた場合に比して、著しく高いと言わなければならない。

第一審においては、過失の割合を双方五割と認定したものであるが、第一審の判決は全く宅建業法上の問題としての注意義務の程度は考慮していない。しかしながら、ほぼ同様の事実認定にもとつくならば原審においては、被上告人の注意義務が高度なものであればその過失割合が、上告人二割ないし三割、被上告人が七割ないし八割と判断されるべきが当然の帰結である。

5 しかるに、原判決には過失割合の認定の前提たる被上告人の注意義務の程度について何らの判断を示すことなく、過失割合を認定した判断遺脱の違法、及びその注意義務の程度について審理を尽くさなかつた違法、及びその点についての判決の理由の不備の違法があるものである。

6 よつて、原判決はすみやかに破棄されるべきものであり、それにかわる相当な判決を求めるものである。

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